FREDDIE MERCURY TRIBUTE
(私達のフレディ追悼コンサート・・・)




1992年2月11日



1991年11月24日・・・、クイーンのフレディ・マーキュリーが、この世を去った・・・。

私が、この重大な事を知ったのは、日本時間25日午後だった・・・。
J−WAVEの番組の中で・・・。
あまりの突然の知らせに声も出なかった・・・。
ラジオでは、“Bohemian Rhapsody”、“We Are The Champions”が流れている・・・。

“Goodbye everybody - I've got to go -・・・”
“・・・”
“Mama, ooo-. I don't want to die. I sometimes wish I'd never been born at all -・・・”

思わず涙が溢れてきて・・・。




私にとって、クイーンは青春そのものだった・・・。いつの時も永遠に続くものだと信じていた・・・。
それが、こんなにも、あっけなく終わってしまうなんて・・・、信じたくなかった・・・。
もう、この世に、フレディがいない、なんて、絶対信じたくなかった・・・。


「とにかく、みんなで、集まろう・・・」・・・。私のバンドのメンバーが、そう言ってくれた。
私の家へ来てくれた・・・。私はその晩、出るに出られなかったから・・・。
でも、もしその晩一人でいたら、何をしでかしていたか・・・、見当もつかない・・・。
みんなが来てくれて、本当に良かったと心から思う・・・。

みんなで、クイーンのレコードや、本など、珍しい物、見たことのない物などを持ち寄って
一晩中、語り明かした・・・。
いつも、いつも、バンドのメンバーとは、クイーンの曲を演奏したり、
クイーンへの熱い思いを語り合ったりしていた・・・。
が、その晩は、特別だった・・・。


それ以降、私は、クイーンのレコードもビデオも、観たり聴いたりする事が、出来なくなってしまった・・・。
“ミルトン・キーンズ”のビデオを観る度に、泣いていたし、
“ショウ・マスト・ゴー・オン”を聴く度に、泣いた・・・。


私の青春は、終わった・・・。何もかもが終わってしまった様な気がして、しょうがなかった・・・。



2月初旬、私とバンドのメンバーは、フレディの“お墓参り”へと、ロンドンへ向かった・・・。

’92年2月11日・・・。

私達は、アールス・コート駅近く、ガーデン・ロッジにある、フレディの家へ向かった・・・。
確か、フレディの家の門には、フレディへの想いを書いた“落書き”が沢山あった筈だ。
しかし、私達がフレディの家に辿り着いた時には、もう既に、壁や門の“落書き”は、全て消されていたのである・・・。
それは、少し、寂しかったけど・・・。





(下の写真(フレディの家の庭)は、郵便局の人が門を開けて入って行った瞬間を狙って撮ったもの・・・)
(窓際に“I'm Going Slightly Mad”のプロモ・ビデオ時のフレディの写真が飾ってあった・・・)


しばらくフレディの家の周辺を行き交いしているうちに、私達は、“タムちゃん”という、日本人女性と知り合った。
彼女もフレディの死を悲しんで、ロンドンへ来ていたのだ・・・。
彼女は、アメリカ、その他の国々で、ホームスティの経験があり、英語も堪能だ。
私達は、すぐに意気投合し、次なる目的地、ケンサル・グリーン火葬場、フレディのお墓へと向かった・・・。


が、しかし、フレディのお墓は無かった・・・。
「フレディの遺骨(遺灰)は遺族が持ち帰った」と、そこの人に言われた・・・。







私達はその後、少々、意気消沈しながらも、ペンブリッジ・ロードにある、“クイーン・オフィス”へと向かった。
相変わらず、写真を撮りまくりながら、しばらく、オフィス周辺をウロウロしていた・・・。
そこへ、1台の車が止まって、その中から、金髪のボサボサ頭で、あまり背の高くない、どこかで見た様な男の人が、オフィスへ入っていった!

オフィスの中へ入っていった男の人は、ロジャーだった!
私達は、数時間、オフィスの外で待っていた。ロジャーがオフィスから出てくるのを待って・・・。

約4時間後、ロジャーは、出てきた!
タムちゃんに通訳を任せて・・・。

 


タムちゃん:「クロスのライヴの予定はあるんですか?」
ロジャー:「クロス?、クロスの予定は今のところ、全然無いよ。
       フレディの為のコンサートを4月20日に予定してる。 4月にね!
       たくさんのゲストが出演してくれる予定なんだ!」


私達は、興奮を隠せなくて、まるで子供の様に“はしゃぎ”まくった!。
もしかしたら、世界中の誰よりも早く、このニュースを知ったのかも知れない!。
「4月も来なきゃっ!!」




翌、2月12日、“British Music Award”が行われた。
その舞台で、ブライアンとロジャーが、感謝の挨拶とコメントを発表した。

ロジャーのコメント、「私たちは、4月20日に、フレディの人生と、経歴、成功、をウェンブリー・スタジアムで祝う予定です。たくさんの友人達が来ます。皆さんもどうぞ来て下さい。」

実は、私が、この“British Music Award”のコメントを聞いたのは、翌13日の朝のニュースだった・・・。




その日(2月13日)、私とタムちゃんは、トッテナムコートにある“ヴァージン・メガストア”へ行った。
もちろん、目的は、クイーンのレコードやCD、それに本などである・・・。

何気に、地下のビデオコーナーへと、降りてみたら、何故か数人の人達が並んでいた・・・。
しかも、その人数は、少しずつ増えていく・・・。

「何だろう?、何の列なんだろう?」

私は、あまり気にもせず、黙々とビデオ(日本では観る事の出来ないビデオ)を、見て回っていた・・・。
しかし、やはり、なんだか気になる・・・。この列・・・。

「タムちゃん? ちょっと、聞いてみて! なんで並んでるのか・・・」
「わかった! ちょっと待ってて!」 

タムちゃんは、そこへ並んでいる人に聞いてみてくれた。

「sakamotoさん! これ! フレディの追悼コンサートのチケット発売ですよ! 今、聞いたら、そこの人、『なんだ、今朝の新聞読まなかったのか? フレディ・マーキュリーの追悼ライヴのチケットだよ』、だって!!」

よ〜く見てみたら、そこは、ウェンブリー関係のチケット売場だったのだ!

「えーっ!! 大変!! 買わなきゃ!! 買わなきゃ!! 何枚買えばいいかな??!!・・・。えーっっと・・・!!」

なんという事! バンドの他のメンバーは、その日の朝、先に日本へ帰国していたのだ!!

「とりあえず! 8枚くらい買っとこう!!」

私達は、慌てて、その列に並んだ!

「買えるかなぁ〜・・・、心配になってきちゃったよ〜・・・」


とうとう、遂に、列の先頭に来た!
こういう時の“タムちゃん”頼み!!
タムちゃんに「フレディ追悼コンサートのチケットを8枚、お願いします!」と、話してもらった!

やっったーっ!! 買えたーっっ!!買えたーっっ!! すぐにでも、メンバーに連絡取って、買った事を伝えなきゃ!!


私は、タムちゃんとお別れして、2日後の2月15日、帰国の途についた・・・。




NEXT PAGE →1992年4月20日