Paul McCartney
DRIVING JAPAN TOUR




2002年!遂にポールが帰ってきた!。

本当に待ちに待った9年間でした!。それでもなんだかアッと言う間に過ぎ去っていった11日間でした〜・・・。
ここで、「ポールが日本にいた11日間」を振り返ってみたいと思います!。

2002年11月9日。ポール御一行を乗せた飛行機、“ロス発・JAL 61便”は、成田空港へ16時25分着・・・の予定が遅れて、17時06分到着。
到着ターミナルは第2ターミナル・C81ゲート。
成田空港には、約2000人のファンが殺到・・・。「ハロー、こにちわ!、にっぽ〜ん!」
物凄い大混乱の中を通り抜けたポールはかなりのお疲れモード・・・。その後警備が異常に厳しくなる・・・。
今回も無事に税関を抜けて、空港地下駐車場から一路ホテルへ・・・。90年93年の来日時と同様、今回も座席にはしっかりと“(ツアー用ハードケースに入れられた)Hofner Bass”。
ホテル到着後、日米野球をやってる側の東京ドームホテルの外を散歩したらしい・・・。
今回の東京滞在ホテルは、文京区にある“ホテル・フォーシーズンズ”。


10日。
11日のコンサート初日を翌日に控えたこの日は、日米野球が行われており、ステージセットの組立は、野球試合が終了した午後10時頃から始まった。「早くても翌日(ライヴ当日)午後9時までは掛かる。不可能に近い」という声もあったらしい。通常のライブの倍という日本人スタッフ約200人が徹夜で基礎舞台を設置する。この姿に約120人の外国人スタッフは「俺達も!」と日米タッグでの組み立てを・・・。

またこの日は日本テレビ(ズームインSUPER)の取材を受けており、その際、ポールは、Rickenbacker 4001V63 FGを受け取っている。(Suzuki様、御指摘、有り難う御座いました!^^)
このベース、番組担当ディレクターが、Rickenbacker社の知人との事で、番組でポールに取材をするという話になったところ、是非プレゼントをしたいということになり、ベースを作製し、それをプレゼントした、という事らしい。(協力:天然色:山上様)


11日、東京ドーム初日。
ポールは午後3時過ぎ、東京ドーム入り。東京都立北園高校3年生16人と教師2名がポールの楽屋に招待された。この高校では、ビートルズの曲の歌詞を英語の授業に取り入れており、10月中旬、学校側は、「是非、学校へ来て頂きたい」と、英“MPL”社公認のファンクラブへメールで要請。11月に入り、ファンクラブ側から「コンサートに招待します」との連絡を受け、対面が実現したらしい。ドーム内の楽屋に招かれた生徒らは、ポールと一緒に“YESTERDAY”を歌ったり歓談したり・・・。これらは“日本での触れ合い”を収めるDVDの為に録画された。

予定より1時間遅れの午後6時頃開場。
会場外では、ファン数人がインタビューを受けていた。
アリーナ席中央に設置されたPA機器の上には、曲目が書かれたセットリストの紙が置かれており、“Freedom”の部分が黒く消されてあったとの事。
会場内は、インドのお香の香りが充満!。私も3ヶ月程前からお香に凝っていたので、思わず嬉しくなる!。
午後7時過ぎ開演。BGMが次第に大きくなり、会場内のライトの一部が消え、大歓声が上がる!。
プレ・ショーが始まる!。“FIREMAN”のBGMに、インドの舞踊やワイルドなダンサー、マジックの様な不思議な雰囲気・・・。
ステージ中央のスクリーンに、ホフナーベースのシルエット!。その裏にベースを持ったポールが立っている!。
ギターとドラムが鳴り響く中、1曲目の“Hello Goodbye”がスタート!。
今回は、ポール他メンバーのMCを、8人(?)の翻訳家がリアルタイムで日本語に訳し字幕スーパーでスクリーンに出す。画期的と言えば画期的。
でも想像していた通り、もはやスネークマンショー状態・・・(笑)。
字幕を試すふりをして、アドリブのMCを披露!。「犬がバナナを踏んで転んだ」・・・(笑)
他、「みんな元気かい?」「ノってきたぞ!」などの日本語を披露。
ブライアン・レイの「手をあげろ!手をあげろ」の日本語が可愛いかった・・・。
ポールがピアノ、ギターへ回った時はブライアンがベースを担当。使用したベースは黒のGuild M85II BASS。
なんと今回のワールドツアーの“Can't Buy Me Love”では、ポールはベースを弾いていた・・・。
また、“Let Me Roll It”は過去のライヴ演奏よりヴァースが多い。
午後10時30分頃、コンサート終了。

(セットリスト)(東京ドーム3日間は、全て同じ内容)
1 Hello Goodbye
2 Jet
3 All My Loving
4 Getting Better
5 Coming Up
6 Let Me Roll It
7 Lonely Road
8 Driving Rain
9 Your Loving Frame
10 Blackbird
11 Every Night
12 We Can Work It Out
13 Carry That Weight
14 The Fool On The Hill
15 Here Today
16 Something
17 Eleanor Rigby
18 Here, There And Everywhere
19 Michelle
20 Band On The Run
21 Back In The U.S.S.R.
22 Maybe I'm Amazed
23 Let 'Em In
24 My Love
25 She's Leaving Home
26 Can't Buy Me Love
27 Live And Let Die
28 Let It Be
29 Hey Jude
-- Encore 1 --
30 The Long And Winding Road
31 Lady Madonna
32 I Saw Her Standing There
-- Encore 2 --
33 Yesterday
34 Sgt. Pepper's/The End


12日、オフ日。
この日予定されていた記者会見は、翌日に延期された。
ポールとヘザー夫人は、高尾山へ。薬王院にお参り。
他のメンバーは、新宿でショッピング。


13日、東京ドーム2日目。
ポールは午後3時20分頃、ドーム入り。
開場は午後5時15分頃。
後で聞いた話によると、初日の方がポールの声の調子は良かった様だ。
字幕スーパーも時々“文字化け”を起こした。その度に会場爆笑。
この日も「みんな元気かい?」「ノってきたぞ!」などの日本語のMC。
アドリブMCは、「僕の犬はバナナを食べる」・・・(笑)
グッズ商品では、ステッカーと缶バッチの売れ行きが良く、缶バッチは早々と売り切れ。ステッカーもコンサート終了後売り切れた。
また、今回のグッズ商品を買った人のみが貰える特製のビニール袋も、この日で全て無くなり、
翌日分は“TOKYO DOME”と書かれただけの緑色のビニール袋に変わってしまった。
午後7時10分頃開演。午後10時頃終了。
(なお、この日予定されていた記者会見は中止となった)


14日、東京ドーム3日目。
開場は午後5時過ぎ。開演は午後7時15分頃。
今回の字幕スーパーは、一時ストップ状態になり、文字が全く出なくなるハプニング。
“Getting Better”のイントロで、ミス。最初からやり直し。曲中もポールは歌ってはいけない部分を歌ったりのミスの連発・・・(笑)。
この日のアドリブMCは、「僕の犬はバナナを食べない」だった。
最初のアンコールで、ポールとメンバーは“ハッピ”を着てステージに登場!(背中に「祭」とか書いてある!)。
“I Saw Her Standing There”では、4人の日本人ファン(3人の女の子と1人の男の子)をステージに上げ、男の子には厚紙に描いたホフナーベースを持たせていた・・・(笑)。
曲が終わると、メンバー5人+ファンの子4人が手をとりあって、深々とお辞儀。。
この演出、USツアーと同様のプログラムで、4人の日本人ファンは、コンサートが始まる前にスタッフによって選出されていたらしい。
グッズ関連では完売続出。プログラムでさえも開演前に売り切れ・・・。買えなかった人も多くいた様・・・。
ポールは「じゃ!またね!」という言葉を残してステージを後にした。
午後10時過ぎで、東京公演を全て終了。


15日、移動日。
午後1時半過ぎ、ホテルを出発、2時頃に東京駅へ到着。
午後2時20分、新幹線博多行き「のぞみ」で京都へ。
午後4時38分
京都駅到着。そのまま金閣寺へ直行、午後5時20分到着。完全貸切状態で観光した。
その後、京都市中京区にある“料理旅館 吉川”へ宿泊した模様。


16日、オフ日。
この日も京都観光。観光名所巡りをした模様。
その後、“料理旅館 吉川”を午後4時頃出発。旅館前には約100人程のファンが駆けつけ、ポールを見送る。
ポール御一行はその後、車で一路大阪を目指す。
大阪での滞在先、大阪市北区にある“リッツカールトンホテル”到着は、午後7時前頃。


17日、大阪ドーム初日。
ポールは、午後2時45分、ホテルを出発。
ホテル周辺は、大変な人集りだった。ドーム入りは、午後3時過ぎ。ドーム搬入口も200人の人集り。
開場は午後5時10分、4万人の超満員。
グッズ関連も、プログラムを含めて、開演前1時間前には殆ど売れ切れ状態。
また公演開始前には、ドーム外で、オリジナルステッカー1万枚が無料配布された。
開演は20分程遅れの午後6時20分スタート。ポールの大阪ライヴ日本語第一声は、「オー!大阪〜!。もうかりまっか〜!」・・・(爆)
その他のポールの日本語MCも、「まいど!」を10回、「おおきに!」を11回連発・・・(笑)
今回のアドリブMCは“犬とバナナ”では無く、「僕の猫の毛は緑色」・・・(笑)
ファンの熱狂ぶりにポールも応えるという、素晴らしいライヴになった!。
“The End”演奏後深々とお辞儀をした後、ポールが客席にバナナを投げる・・・(笑)。
なおこの日は、“Here, There And Everywhere”と“Michelle”の間に“Calico Skies”を演奏した。東京ドーム公演の際、あるファンの方が、「Please Play "Calico Skies"」と書いたボードを掲げていたのをポールは見ていたらしく、この日も大阪ドームへ来ていた彼が掲げたボードを見つけて、ポールは演奏後ステージ上から、「For You!,You!」と指を差して語りかけていた。
9時10分頃終了。ポール御一行は、しばらくドーム内で待機、9時30分頃、大阪ドームを後にした。


18日、大阪ドーム2日目(日本公演最終日)
ポール、ドーム入りは午後3時30分頃。
開場は午後5時15分頃、開演は午後7時10分。
この日のコンサートは、前日にも増して、更なる盛り上がりをみせたライヴだった。ポールも最高に上機嫌だった!。
メンバーのMCは、「これが最後」といった雰囲気のメッセージ・・・。
日本語MCも、前日同様、「まいど!」「おおきに!」を連発!。
この日のアドリブMCは「僕の犬はバナナを食べる」だった・・・。
また、この日も“Calico Skies”を披露。来年のヨーロッパツアーからは、セットリストに入るのかも・・・。“Baby Face”も軽く披露。
その他、60年代に作曲したという未発表曲を2曲、アコギで披露した。
最初のアンコールでまたまた例の「祭」のハッピ姿で登場!。ポールを含め、メンバー全員、自分の奥さん(または彼女)からハッピを着させられる!。
「僕の奥さん!」とヘザー夫人を紹介。軽くキスなども・・・。
ポールは「僕の相撲バンド!」と言い、ポール以外のメンバーは“ちょんまげカツラ”を着用!(笑)。
大阪ドーム最終日のこの日も、東京ドーム最終日同様、“I Saw Her Standing There”で4人のファンをステージに上げる演出・・・。しかもコスチュームはサージェント!。その中の男の子は、厚紙ホフナーベースを持たされていたので、恐らく東京ドームの使い回し・・・。ただし4人のサージェント・コスチュームは自前だったらしい・・・(このコスチュームがスタッフの目に止まり選出された、という見方が間違いなさそうだ)。
ポールは、この日本最終公演でも、「じゃ!またね!」という言葉でライヴを締めくくった・・・。
多くのファンが涙しながら、「絶対帰ってきて!」という言葉を投げかけた・・・。
午後10時15分頃、コンサートは終了した。


ポールのワールドツアー来場者100万人突破
4月の米国から始まった元ビートルズのポール・マッカートニー(60)のワールドツアーの来場者が、18日の大阪ドーム公演で100万人を突破。100万人目の観客にポールから車など記念品が手渡された。幸運が舞い降りたのは熊本市龍田の郵便局職員、吉田耕さん(54)と、大阪府藤井寺市に住む長女の作業療法士、晃子さん(26)。耕さんの影響でビートルズを聴いていた晃子さんが、父親を誘って来場した。開演前、楽屋そばで直筆サイン入りの記念プレートと、発売されたばかりのライブアルバム、日本製の乗用車をプレゼントされた。ポールから「ラッキーガール」と握手された晃子さんは頬を真っ赤に染め「来て良かった」と感激していた。(サンケイスポーツ)


19日、帰国。
ポール御一行は、午前9:30過ぎ、リムジンでホテル出発。午前10時50分頃、関西国際空港へ到着。“ロンドン行き午後0:00発JAL421便”で帰国。
空港には、約300人のファンが詰め掛けた。「カムバック、アゲイン!」というファンの絶叫が飛びかう中、ポールは、搭乗口で両手を胸の前で軽く合わせて合掌し、「まいど、おおきに、ありがと、さよなら」と大阪弁を交えてのファンへのメッセージを残し、日本を後にした。



(協力:田中様、岸本様、他、東京ドーム内、ホテルで知り合った皆様)
御協力、誠に有り難う御座いました!。